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平和なる想いを  1972あさま山荘事件記  第一章「人質事件、発生!」

当連載は、自らの命をかけて、尊い命を救った内田隊長。
内田隊長の行動を間近で見続けてきた、第二機動隊員。
そして、内田隊長の御家族など、様々な方々の「あさま山荘事件」に対する「あの時」と「それから」の想いを描くことにより、日本人が二度と同じ過ちを繰り返すことなく、真に平和な社会を築けるようにとのメッセージを込めて綴る、長いドキュメンタリーである。

一  一発の銃弾が時を変えた

1972年(昭和47年)2月28日

目標は、長野県北佐久郡軽井沢町の河合楽器健康保険組合保養施設。
通称「あさま山荘」
山荘の壁に開けられた銃眼から、22口径ライフル、12ゲージ散弾銃、38口径拳銃の銃口が覗いている。警視庁第二機動隊は、最前線のひとつである山荘玄関前に陣取り、時を待った。

「ただ今から、実力をもって人質を救出する。無駄な抵抗はただちにやめなさい」
午前10時。
警備広報の最後通告アナウンスが響く。数分後、銃眼のひとつから、この日最初の発砲があった。弾は二機隊員の大盾に当たった。それを合図とするかのように、各機動隊から一斉にガス弾が発射された。

はたして・・・・

何メートルあるだろうか。測るまでもない。普通に歩けば、ほんの数秒で到達する距離だ。
だが、そこへ行くには、無数に積み上げられた土嚢を乗り越えなければならない。土嚢を越えれば、無数の銃弾が降り注いでくる。それに対して、(当分、実弾の使用許可は下りそうにない・・・)

戦いが始まった。

二  "カッパの二機"と、内田隊長

時間が、少しさかのぼって…

”カサヤ、金メダルへのジャンプ!飛んだ、決まった!”
笠谷幸夫が70メートル級ジャンプで金メダルに輝き、日本のスキージャンプ勢が表彰台を独占した。
札幌オリンピックは、2月3日に開幕。続く90メートル級ジャンプでは、笠谷はメダルを逃したものの数多くのスターとドラマを生み、2月13日に感動の内に幕を下ろした。
その4日後の2月17日。
衝撃的なニュースが日本中を駆け巡った。

永田洋子逮捕。

いわずと知れた、連合赤軍幹部の一人だ。
70年代安保闘争の過程で、革命と称するテロ組織が数多く生まれた。赤軍派と京浜安保共闘もその中の一つだったが、やがて両派が合体し、連合赤軍となった。彼らは金融機関強盗で得た資金と、銃砲店襲撃により数多くの武器を持っていた。
警察は指名手配犯の発見、組織の実態把握のため、都市部でアパートローラー作戦を始め、徹底した取り締まりを行った。連合赤軍のメンバーは、厳重な警戒取り締まりを避けるため、地下に潜入。

「ゲリラ戦教程」を名目に、群馬県の山岳地帯に秘密基地を作り、銃撃訓練や爆弾製造など、武装蜂起の準備を進めていた。
2月に入り、地元住民の協力で、警察は、榛名山や迦葉山、妙義山のアジトを次々発見。群馬、長野両県警察を主体に山狩りが行われ、16日に妙義山麓で、まず2人を逮捕。翌17日、妙義山アジト付近で永田洋子と、もう一人の身柄を確保した。

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